Menicon Radio 第15回「~創立70周年 メニコンの歴史~」

Menicon Radio

2021.2.3「2月8日は、メニコンの創業記念日。田中社長がその歴史について語ってくれました。」

コンタクトレンズメーカー”メニコン”の田中英成社長のユニークなキャラクターをフリーアナウンサーの川本えこが様々な角度で切り取ります。ビジネスだけでなく社会・カルチャー・エンタメなど幅広い分野・話題でお届けする情報番組

第15回 ~創立70周年 メニコンの歴史~

再生するには▶︎をクリック!

2021.2.3
2月8日は、メニコンの創業記念日。田中社長がその歴史について語ってくれました。
※ 以下のブラウザで再生できます。
・Google Chrome
・Safari
・Firefox
・Microsoft Edge最新版(https://www.microsoft.com/ja-jp/edge
再生できない場合は、最新バージョンにアップデートしてください。
Internet Explorerは非対応です。ご注意ください。
00:00 あいさつ ~ 2月8日はメニコンの創業記念日。そして創立70周年!
00:45 田中恭一会長が、日本で初めて角膜コンタクトレンズの開発に成功した日
01:35 会長は、なぜ日本になかったコンタクトレンズに興味をもったのか?
03:21 世界ではコンタクトレンズ研究されはじめていた
04:00 田中恭一会長のコンタクトレンズへの想い~研究&開発
05:55 アメリカ人のご婦人に聞いた話から、わずか3か月後には
プロトタイプのコンタクトレンズを完成させた
06:26 反対を押し切って田中恭一会長が自分の目にコンタクトレンズを入れた
07:07 さらに改良を重ね、開発したコンタクトレンズを研究機関に持ち込んだ
08:15 当時は直径20ミリの強角膜レンズの研究が主流。
会長は、黒目の上だけをカバーする直径10ミリのレンズを開発。
09:50 アメリカのご婦人に見せてもらっていたら、開発できなかっただろうし
知識がなかったのもイノベーションにつながった
10:45 こういうメニコンの歴史を、田中社長は会長から聞いていた
11:10 会長の父、社長の祖父は竹彫作家だった
11:50 会長はメガネの加工技術に才能を発揮していた
12:36 田中社長と会長。父と子の話 囲碁も将棋も好きだった
14:39 田中社長の眼科医の経験から、メルスプランが生まれた
15:21 コンタクトレンズのユーザーが使い方を間違ってきた
眼障害をおこさないようにするには...
16:13 メルスプランはサブスクの先駆けだった ~
16:57 3年たっても具現化しないメルスプランを推奨するには
17:26 社長交代のお願い ~ 世代交代
18:55 これからの未来は?
4月に70周年イヤーの発表! ~ 9月に「あしたの瞳
19:54 CM(メルスプラン)
20:24 END
各ポッドキャストサイト他でも配信中
田中 英成(たなか ひでなり)社長プロフィール
1959年京都生まれ。愛知医科大学医学部医学科を卒業。勤務医として研鑽後に眼科専門医を取得し、開業を経てメニコン入社。サブスクリプション成功の先駆けとして業界内世界初の定額制会員販売システム「メルスプラン」を考案。2000年に40歳で社長就任。業績をV字回復させ2015年に東証一部上場を果たす。また、クラシック演奏家や俳優などの育成を目的に、『あおい英斗(ペンネーム)』として歌劇の脚本作詞を手掛け、処女作『ラジオミュージカル 本能寺が燃える』では、2011年ギャラクシー奨励賞を受賞。のちに『戦国オペラ 本能寺が燃える』『ミュージカル キミのために散る』、『幕末オペラ 歳三を愛した女』などを舞台化。一般社団法人 日本コンタクトレンズ協会相談役(前会長)、一般社団法人 スター・クラシックス協会理事長、公益財団法人 東京二期会理事、公益社団法人 セントラル愛知交響楽団理事、学校法人 名古屋自由学院理事などを兼務。
川本 えこ(かわもと えこ)プロフィール
ラジオDJ / ナレーター
1995年 関西でラジオデビュー。
2001年から2019年まで名古屋のFMラジオ局で生放送番組を18年担当。
インタビューはミュージシャンや著名人など4000組を超える。
2019年より東京でも活動を開始。
error:
タイトルとURLをコピーしました